何もかもが手作業による品々。
今で言う非効率な手作業の中に、現代人が忘れてしまった『心』のこもった品物が存在します。
誰かを想い、気の遠くなるような時間と手間を掛け作り上げるその品物には、お金では買うことの出来ない温もりと美しさを感じる事が出来ます。
最近は効率化ばかりが良しとされ、コスパ・タイパなんて事を追及しています。
効率が良いにこしたことはないですが、心も同時に失ってはダメでしょう。
非効率の中に大切な何かが込められているとすれば、今の世の流れはまずいかもしれません。
そういったことに気付かせてくれるのが、少数民族の手仕事の品物な気がします。

トン族のベビーキャリー。
少数民族が暮らす地域は、つい最近まで医療も発達しておらず、子供が成人になれる確率はかなり低い状況でした。
子供に対する想いは格別なものだった事は安易に想像できます。
刺繍やろうけつ染めを用い、生まれてくる子供の成長を願いながら作るその品物には、大量生産した品やあえて少量しか作らない事で希少性を演出しているブランド品には無い『想い』が込められています。
Original
オリジナルが分からなくなってきている。そんな印象があります。本物のジーの見極めが非常に困難なように、少数民族のアクセサリーや衣装も当然コピーが存在します。伝統に則して作ってます。って言われて、あぁコピーなのね…。って思う人がどの程度いるのか。
そもそも、オリジナルって言葉に色んな解釈がある事自体違和感しかありません。
例えば、
・想いを込め全て手刺繍によって作られた衣装
・機械ではあるけれど丁寧に織られた衣装
・商売の為機械によって大量生産された衣装
・プリントによって刺繍を再現した衣装
時代が古い順に並べてありますが、仮にこれら全てにヤオ族が関わってたとして、どれもがヤオ族オリジナルの衣装ですって言われて違和感を感じませんか?
かなり無理があるでしょ!?
現在出回っている衣装の殆どが下2つの品物なんです。
拘りが無い人たちにとっては、安くてお洒落であれば良いのよ。本物かどうかなんて関係ない。
大多数の人達の思考がそんな感じだと思います。世の中は大多数の人達の思考で動きますので、コピーが世の中に氾濫する。ただ、オリジナルが分からなくなるってのは良いとは思えない。一部のマニアは理解していても、発信しない人が殆どだからますます間違った情報ばかりが世の中に溢れる。どうせ言ったところで多数派には理解はしてもらえないでしょうけど…。黙ってたらのみ込まれちゃうだけじゃない。どうせのみ込まれるならちょっとは足掻いてみよう。
高いから買えないかもしれないけど、本当の情報は知っていてほしい。
コピーがきっかけだとしてもオリジナルに辿り着いてほしい。
ミャオ銀ってなんだろう…?
品物を見ていて大方の予想はついていたんですが、ちょっと気になってそこのお店を訪れて来ました。
僕は『これはオリジナルで古いものなんですか?』と尋ねると、『勿論オリジナルの古い物です!』と半分怒った感じの返答を頂きました。
『これって軽いからアルミっぽいけど銀なんですか?』と続けると、『アルミやニッケルが主で少し銀を混ぜて作られていると思う。銀自体の量はそこまで使われていない感じがするね。まぁ、そんなのはどこでもやってる事なんで大した問題ではないんだけどね。』と誇らしげに話してくれる訳です。
『そんなので銀って言っちゃうんですねぇ〜。』って突っ込むと、黙っちゃいました。笑
ミャオアルミやミャオニッケルって言えば良いのに…。
一円玉や百円玉をシルバーとは言いませんよね。
※参考までに金属の比重を載せておきます。
銀:10.5(g/cm3、スズ:7.30(g/cm3、ニッケル:8.9(g/cm3、 アルミニウム(純粋なもの):2.71(g/cm3
少数民族が好きな方ならカレンシルバーってワードはご存知かと思います。
多分そこを真似て新たな市場を開拓しようとしているのかもしれませんが、古い物ではないですし、オリジナルとはしっかり区別しておいて欲しいものです。
当然ですが、ミャオ族もシルバーのアクセサリーを身に付けて来ました。

(こんな感じの品物が並べられていましたが、レベルは格段に落ちます。)
こちらは最近作り出されたぺらっぺらなチープなものとは別次元なものになります。
インドシナのシルバーとは若干違いがあるんですが、そこは地域がら仕方がない部分もあったようです。◯◯◯が影響していたんですが、皆さんはお分かりになりますか?
Original Silver Accessories

非常に出来がいいネックリングなのがお分かりになりますか?
上記の画像のものとは手のかけ方が段違いになります。
そもそも『利』が絡んでいない。
持ち主は財産であるという事を重視しますが、売ること前提ではなく富の象徴として身に付けていたわけです。
銀を財産としての見方のみであれば、加工に手間をかけずコインやインゴットの状態で保有する方が効率もよく、余分な手間賃を省けるわけです。
でも、それを選択せず手間をかけ加工した所に美が宿るわけです。現代で言うところのコスパ・タイパとは真逆の世界です。
歴史的に貴重とされる神社・仏閣を始め、国宝・重要文化財と言われる美術品は、当然ですが手間・費用を惜しまず造られたものが評価になっています。
全て規格が統一されプレハブのようなものばかりになってしまっては魅力も何もありません。
こちらは中が空洞になっていて重さはそこまでありませんが、空洞になっているということは当然凹んだりするわけです。
ダメージのないものはそれだけで貴重となるんですね。
空洞にしたのは、単純に銀の使用量を減らしたかったってのはあるでしょうね。
そこは予算の都合上仕方がなかったのかもしれません。