Ancient dZi Beads 1

ここではジービーズ(dZi Beads)の中でも『眼』が描かれているものを中心に紹介していきます。
Ancient dZi Beads 2でご紹介しているチョンジー(Chung dZi)の完成形が、一般的にジービーズと呼ばれるこれらの眼が描かれたビーズになります。
眼の数が1〜9・12、サコナゴ(Sakor Namkor)、タッソー(Tasso)辺りが基本。1〜9の中で9アイと呼ばれる9つ眼があるものが最も気高く、誰しもが憧れる存在となっております。(※12アイの方が高いですし、それ以外の特殊な模様のジーなどは9アイを遥かに凌ぐ値段がつくことがあります。)2アイが最も数が多く、貴重な中でも比較的一般の方も所持が可能だった事が分かっています。何故2アイが多かったのかなぁ…ってずっと考えて来ましたが、多分生き物の眼は2つだからなんだろうなと。
パワーストーン屋さんなどでは、この模様は金運に良いだの、こっちは恋愛運に良いだのとチープな理由を並べて販売されていますが、ジーはそういったチープな思想で誕生し代々大切に守り受け継がれてきた訳ではないことだけは確かです。
ジービーズはよく供物として寺院や仏像などに収められています。また、大切なジーを切断し片方は自身に、もう片方を寺院や仏像に納めることで仏との繋がりを感じることが出来るわけですね。(※ちなみに僕はまだ未熟で出来ていません…。)
その場合、特別なジー(高価なジー)を敢えて選んでいます。数千万するジーを収めたり真っ二つにするって、なかなか出来るもんじゃないですよ。
そういう現代の日本では考えられないような思想の中で生きてきたのがジーなんですね。
今では、本物の9アイどころか眼の描かれたジー自体手にすることが難しくなってしまいました。ネット上に本物と称するコピーが大量に出回っていますが、ここの画像としっかり見比べ違いに気付いて頂ければ幸いです。
※中華圏では老天珠と呼び、2眼・9眼と表記したりしますが、ここではチベットの思想に基づきジー(dZi,dZibeads)としています。

Ancient dZi Beads
(Six eyed dZi)
誰もが憧れる6アイ ジービーズ。ジーの中で最も評価の高い白黒のハッキリした模様同様に評価が高い色の1つ。サイドリングを有する事で通常よりも一回り大きなジーとなります。
Ancient dZi Beads
(Four eyed dZi)
何故か6アイよりも数が少ない4アイ ジービーズ。漆黒を纏い気品を感じさせる特大サイズのジー。
Ancient dZi Beads
(Two eyed dZi)
色艶がなんとも言えぬ妖艶な2アイ ジービーズ。2アイとしていますが、もしかすると4アイの可能性もあります。
Ancient dZi Beads
(Two eyed dZi)
6アイ・4アイと一緒に同一人物によって受け継がれて来た2アイ ジービーズ。母体の石の性質が影響しており、光にかざすと透けます。これだけしっかり黒く染め上げられたジーでは珍しい逸品。
Ancient dZi Beads
(Two eyed dZi)
一瞬出土品を思わせる2アイ ジービーズですが、歴とした伝世品。母体の石の影響から通常とは異なる構図になっています。制作当時の職人がそこまでしっかり理解した上でジーを作っていた事が伺えます。
Ancient dZi Beads
(Sakor Namkor dZi)
天地を表現したとされるサコナゴ。一瞬制作時のミスかと思わせる部分がありますが、これは明確な意図があったと推測できます。現在のマーケットでは評価が下がりますが、非常に珍しく貴重な逸品となります。
Ancient dZi Beads
(Two eyed dZi)
非常に滑らかな肌触りの小粒の2アイ ジービーズ。画像からも分かるように光にかざすと透けます。無数のブラッドスポットに加え、ブラッドラインも確認できます。こういった瑪瑙の石質では黒色が入りづらかったのかもしれません。
Ancient dZi Beads
(Two eyed dZi)
非常に珍しい構図に加え、陰陽を表すかのような母体の特殊2アイ ジービーズ。何故そうなるかという事をジーの歴史を読み解きながら考察されると良いかと思います。小粒なサイズでありながら、見事にラインを描いた様子から当時の技量の高さが伺えます。
Ancient dZi Beads
(Rare Three eyed dZi)
背面に強烈ば眼を有する3アイ ジービーズ。非常に滑らかな肌をしており、いつまででも触っていたくなるそんな感覚を抱かせてくれます。特大のジーであることが眼の大きさからも分かります。とても大切にされてきた、そんな印象を抱かせてくれるジーです。
Ancient dZi Beads
(Tasso dZi)
白黒のコントラストが美しい代表的とも言えるタッソー。馬歯とも虎牙とも言われますが、当時の人々は果たしてどっちをイメージしていたんでしょうか。それともどっちでもなかったりして。

dZi Beads(ジービーズ)について

ジーについて知れば知るほど天珠とは呼ばなくなりました。天珠という呼び名に嫌悪感を示すチベット人も多い様です。現地の人達がジーって呼んでいるのなら、そこは尊重してジーって呼べばいいよね。中国とチベットとの微妙な関係性を考えれば当然そうすべきだし、わざわざ漢字に置き換える必要はないですよね。

世の中(日本)のジービーズと呼ばれるものは概ね下記の5つかと思います。

  1. 古代よりチベット系民族により代々受け継がれてきたもの。
  2. 出土品。古代に特権階級の為に作られ埋葬されたものなど。
  3. 100年程度経過したガラス・セラミック製のコピー。
  4. 1940年頃コピーとして制作され、50年程度チベットの人々が身につけてきたもの。
  5. 近年に台湾や中国などで作られたコピー。

個人的に1以外は本物のジーと呼びたくはありません。1と2は制作場所や時代は同じでも歩んできた歴史が異なります。2は考古学の資料やアンティークビーズとしての価値はあっても、チベタンが代々受け継いできたジーにはなれません。残念ながらここが混同してしまう人が非常に多い。

区別されると都合が悪くなっちゃう人達がいるんですね。そういった人達が出土品を伝世品だと偽ってマーケットに流していきます。かなり前から伝世品と出土品がごちゃまぜにされ、区別がつきにくくされていました。こうなるともう素人にはお手上げです。

3以下は1・2とは明確に区別されますが、この3や4に新たな価値を見出し商売にしている方々がいます。これらは今尚、チベタンによって本物のジーだと信じ大切に身につけられています。それを古代のジーと比べると歴史としては浅いけれど、チベタンが身に付けてきたものだから〜ってやるわけです。ビンテージとか何とか言いながら販売されているのがそれです。値段は大きく差がありますが、そもそも安くしてるから良いって問題でもありません。5は古代のジーに似せようと作られたコピー。最近では古代と同じ製法だから〜とか何とか言いながら売られています。そもそも古代のジーと同じ製法だとご利益があるとでも思っているんでしょうか…。寺院で開眼してもらった〜とか、お坊さんが身に付けていた〜など、あらゆる手法を駆使しながら付加価値を付けていきます。スピリチュアルな要素があった方が御守りとしては良いってのは分からなくもないですが…。

※模様を焼き付ける行為自体に意味があったという考えもあります。

2〜5にもチベット人が関わっているようで、より複雑になっちゃってます。

以前中国の成都のチベット人街に行った際、コピーが販売されているのを見てきました。説明書きにはちゃんと『台湾天珠』と書かれ、コピーとして販売されていたのが印象的で、日本よりある意味ちゃんとしてるじゃない…ってショックでした。日本の販売店さん全てに悪意があるわけでもないようですが、よくよく調べもせず、言われるがまま販売している事自体問題でしょう。自分自身で整理をして、感情に流されず、数学の公式に当てはめて淡々と答えを導き出す様なそんな冷静さが必要になります。

最初は見た目であったり、周りの評判、マーケットでの価値などがきっかけになるんじゃないかと思います。それ自体は何ら悪いことではないし、ごく当然のことです。僕もそうでしたから。
ただ、知れば知るほどジービーズの特異性に気づき始めます。見た目ではなく背景にフォーカス出来るかどうかが重要になってきますが、そこにアプローチしていく事がジービーズの本当の魅力に気付くきっかけになるはずです。
何故チベットのみで伝世されてきたのか?
何故チベット人は1000年以上もジーを受け継ぎ守ってきたのか?
ただ単に高額だからでしょ!?
では何故あえて高額のジーを削ったり、切断して寺院に納めたりしたんでしょう?
同じ事が出来るかと言われると…。
ネット上では最強のお守りなんて言われたりしています。
背景を知り本物のジーであるならば、そりゃそうよね。ってなるんですけど、寺院で開眼してもらいました〜。とかビンテージですけどチベット人が持ってました〜。ってなっちゃうと、その辺のお守りと大差ないってなっちゃう気がしますけど。

神社仏閣は多くの人々の信仰と共に長い間守り受け継がれてきたことによって、世界的に見ても特異なものとなり、そこに世界中の人々が魅力を感じている訳です。
チベットの文化も同様で、閉鎖的とも言える天空の地で独特の文化を守り受け継いで来たところが日本にどことなく似ている気がします。
最近は祈る事がめっきり少なくなってしまった気がしますが、情報も乏しかった昔は日常生活の中に祈りが多かったんじゃないかと思います。
雨が降りますようにとか、大雨がおさまりますようにとか。
沢山作物や獲物が取れますようにとか。
神様がお怒りだから生け贄を捧げようとか。
あの手この手で不安を解消しようとした訳です。
天変地異や疫病など今のような情報がなければ、神様仏様ジービーズ様におすがりするしかない。
そういった状況の中、必然的に生み出されたもの大切にされて来たものはある意味合理的であり、現代でも通用することが非常に多いんじゃないでしょうか。
マインドフルネスなんて言われますけど、祈りの中受け継がれ生きて来たジーを握り締め、よろしくお願いします。って日々を過ごす事で温もりと安心を与えてくれる気がします。