こちらはタイ側のヤオ族さんの品物になります。
荒々しさはあるんですけど、そこは作り手の技量の問題なのかグループの思想の問題なのか。
この辺の微妙な感じは学者の先生なら分かるのかもしれませんが、もしかすると学者の先生でもお手上げかもしれません。
儀式でお面が使用されるのは世界各地で見られ、博物館で展示される一級品ともなると今にも喋り出しそうなものであったり、子供ならおしっこちびっちゃいそうな恐ろしい形相のものがあり、これは悪霊なども参っちゃうよねぇなんて思いながら見ています。
現代では医療が発達し体調の悪化はウイルスや細菌が原因だということが分かっていまから、こんなお面をつけてシャーマンに拝んでもらう事には効果がなくお薬飲んじゃえば良いじゃない!ってなるわけです。
まぁそりゃそうなんでしょうけど、どことなく寂しさもあるんですよねぇ。
病は気からって言葉もそのうち無くなっちゃうのかなぁ。
目的地を決め、最短ルートで道中無駄なことは全くせず目的地に到着する。
多くの人がコスパ・タイパを重視しこれが良しとされる世の中ですが、最近はこのことに違和感を感じています。
人間が最終到達するのが死です。
先ほどの目的地が死であるとすると、無駄なことを全くせず最短ルートで行こうとすると、生まれてすぐ死ぬことになってしまう。
お友達と楽しく過ごしたり、恋愛をして楽しいこと辛いことを経験したり、子供と一緒に遊んだり、お金を稼ぐために一生懸命働いてみたり。
これら全てを無駄だとし、すっ飛ばして死へと向かう。
正に究極のコスパ・タイパなわけですが、本当にそれで良いんでしょうか?
出来るだけ良っくりと進み、寄り道しながら如何に無駄な事を増やせるかが重要なんじゃないかと最近は思うわけです。
実は多くの人が望んでいることはこれなんじゃないかと。
にも関わらず無駄なこと排除し効率ばかりを求められる事で、自身の中に無意識に死を意識させられているのかもしれません。
こんな無駄なことをしているってのが実は生きる証なのかもしれない。
ってそれらしいおサボりの口実を考えているわけです。笑
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